【高天原より天降り地上の神々を生んだ最初の夫婦神】
- 概要
- 伊耶那岐神(いざなぎのかみ)と伊耶那美神(いざなみのかみ)は神話の中で一番最初に出てくる夫婦神で、夫婦婚姻のはじめとか結婚の神などといわれる。また、結婚して数々の国土を誕生させる「国生み」や、多くの自然神や文化神を誕生させる「神生み」を行ったことから、国堅めの神、生命の祖神などともされる。
黄泉の国でイザナミ命は、それまでの創成母神の姿から一変し、人間の死をつかさどる禍々(まがまが)しい黄津大神(よもつおおかみ:死の国の支配者)に変身する。イザナミは神でありながら一番最初に死を体験し、それによって黄泉の国(死の世界)が始まった。つまり、このイザナミの話しは死の起源を象徴するものなのである。
その後夫のイザナギ命は死んだ妻を追って黄泉の国にでかけるが、妻の醜い姿態を見て逃げ出し、激怒したイザナミに追われる。そしてこの世とあの世の境界にある黄泉比良坂(よもつひらさか)でイザナミとイザナギは対峙し、イザナミは「これからは地上の人間を一日に千人殺すことにする」と言い放つと、イザナギは「それならば私は一日に千五百人の産屋をたてよう」と宣言した。このときから人間の寿命が始まったという。
イザナギは黄泉の国からこの世に戻ったとき日向(宮崎県)の橘の小門の阿波岐原の海に入って禊をし、黄泉の国の穢れを洗い流した。古来日本人は生命力を失う死を穢れと感じ、穢れることを忌み嫌ってきた。一方で神は清浄であり、神がつかさどる自然の一部である人間も、本来は清浄であると考えてきた。つまり、穢れが神を怒らせ、あらゆる災厄の原因であるという観念である。
神道の儀式で最も大事なものに「禊と祓い」がある。これは神社で誰もが一度はやっている拝殿の前の手水舎で手をすすぐ行為も、祈願する前に心身を浄める意味がある。もっと本格的には、川や海に入り俗世間の穢れを祓い落とすというわけである。こうした儀式はイザナギが禊をしたことにちなんでいる。
また、「お多賀さま」と親しまれているのは、イザナギとイザナミの二神が鎮座する滋賀県の多賀大社のことで、「古事記」には「伊邪那岐大神は、淡海の多賀に坐(いま)すなり」とある。これは神生みのの事業をすべて終えたイザナギは近江の多賀に鎮座したということである。
- 別名・別称
- 伊弉諾、伊邪那岐(イザナギ)・伊弉冉、伊邪那美、伊弉弥(いざまみ)
- 神格
- イザナギ(人類の起源神、結婚の神)イザナミ(創造神、万物を生み成す女神)
- 性別
- イザナギ(男神)イザナミ(女神)
- 神徳
- 産業繁盛、商売繁昌、出世開運、豊作、大量、家内安全、厄除け、延命長寿、無病息災、病気平癒、縁結び、夫婦円満、安産、子育てなどなど幅広い
- 備考
- 多賀神社は、室町中期以降人気が高まり「お伊勢七庶(数が多いこと)熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」俚謡(りよう)も生まれた。さらに江戸時代には、多賀講の信仰が全国に広まり「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」といった俚謡とともに、多賀参りはお伊勢参りと並んで盛んにおこなわれた。
お多賀様はまた、日本の商業史に大きな足跡を残した近江の商人の厚い信仰を受けてきた。商人は関東から東北地方まで、長い行商の旅に出た。その出発のとき、商人たちは旅の安全と商売繁盛を祈願したのである。というのもイザナギとイザナミは諸々の神の生みの親であるがゆえに、お多賀様を信仰すれば、行く先々で様々な神の守護が受けられると考えたからである。
全国の多賀系の神社は二百三十三社(境内社も含めば二百九十九社)にのぼるといわれる。
なお、三重県の椿大神八代摂社の椿岸神社は、芸能関係者や花柳界の芸妓さんなどの信仰が篤い。 - 神社
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・多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町:多賀信仰の総本社)
・伊弉諾神社(兵庫県津名郡一宮町多賀)
イザナギの最後の鎮座地の伝承・江田神社(宮崎市阿波岐原町)
イザナギの禊の霊地とされる場所の一つ・花窟神社(はなのいわやじんじゃ:三重県熊野市有馬)
イザナミの御陵の伝承・伊佐須美神社(福島県大沼郡会津高田町)
・三峰神社(埼玉県秩父郡)
・雄山神社(富山県中新川郡立山町)
・玉置神社(奈良県吉野郡)
・佐太神社(島根県八束郡)
・愛宕神社本宮(京都市右京区)
・愛宕神社(京都市右京区)
・筑波山神社筑波山神社(茨城県つくば市)
・白山比咩神社(石川県石川郡)
・丹生川上神社中社(にうかわかみ:奈良県吉野郡)
・英彦山神社(福岡県田川郡)
・波上宮(沖縄県那覇市)
など。