大長谷若建命(おおはつせのわかたけるのみこと:大長谷王(おおはつせのみこ))は、長谷(はつせ)の朝倉宮(あさくらのみや:奈良県桜井市脇本か)で天下を治め、第二十一代 雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)となりました。
天皇は、大日下王(おおくさかのみこ:仁徳天皇の御子)の妹の若日下部王(わかくさかべのみこ:若日下部命)を娶りました。
この后との御子はおりません。
また、都夫良意富美(つぶらおおみ:大長谷王(おおはつせのみこ)の怒りと目弱王の殺害で自害した)の娘の韓比売を娶って生んだ御子は、
白髪大倭根子命(しらかのおおやまとねこのみこと・白髪命)後の第二十二代、清寧天皇(せいねいてんのう)、
次に妹の若帯比売命(わかたらしひめのみこと)の併せて二柱です。
そこで、白髪太子(しらかのひつぎのみこ:白髪命)の御名代(みなしろ:朝廷に仕える大王直属の集団)として白髪部(しらかべ)を定め、
また長谷部の舎人(とねり:皇族に仕え、警備や雑用などに従事していた者、役職)を定めて、
また河瀬(かわせ)の舎人をお定めました。
雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の御世(みよ:時代)に、呉人(くれびと:中国地方の人)が大陸から日本へ渡ってき来ました。
そして、その呉人を呉原(くれはら:奈良県明日香村辺り)に置きました(定住させました)。
それにより、その地を呉原(くれはら)というのです。
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