またある時、天皇が丸邇(わに)の佐都紀臣(さつきのおみ)の娘の袁杼比売(をどひめ)と結婚するため、春日(奈良県春日町)にやって来た時、その媛女(おとめ:袁杼比売(をどひめ))と道で出逢いました。
しかし、その媛女(おとめ:袁杼比売(をどひめ))は天皇の行列を見て驚いてしまい、岡の辺りに逃げて隠れたてしまいました。
そこで天皇は、次の歌を詠みました。
「媛女(をとめ)の い隠(かく)る岡 金鉏(かなすき)も 五百箇(いほち)もがも 鋤(す)き撥(は)ぬるもの」
訳:
「媛女(をとめ)の隠れている岡を、金鉏(かなすき:農作業や土木工事に使用されたスコップの様なもの)が五百ほどあれば、鋤き払うのだが」
*丘に隠れた媛女(をとめ)を、金鉏がたくさんあれば掘って見つけ出せるのになあ。との意味。
そこで、その岡を名付けて金鉏岡(かなすきのおか:所在未詳)というのです。
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