そして、履中天皇(りちゅうてんおう)は、大阪の山の麓(ふもと)までやってきた時、一人の女に出会いました。
すると、その女は、
「武器を持った大勢の人達がこの山を塞いでおります。当岐麻道(たぎまじ)から迂回して進んで行った方が良いでしょう」
と申し上げました。
これを聞いて天皇は次のように歌を詠みました。
「大坂に 遇(あ)ふや女人(おとめ)を 道問へば 直には告(の)らず 当岐麻道(たぎまじ)を告る」
訳:
「大阪で出逢った女人に道を問うと、真っ直ぐにとは言わず、当岐麻道(たぎまじ)をと言う」
そこで天皇たちは当岐麻道(たぎまじ)を上って、石上(いそのかみ)の神宮(奈良県の石上神宮)に着きました。
そこへ、同母の弟の水歯別命(みずはわけのみこと:後の十八代、反正天皇)が天皇の元に会いにやって来ました。
しかし天皇は、
「私は、あなたのことも墨江中王(すみのえのなかつみこ)と同じ心ではないかと疑っている。だから何も話すことはない」
と仰せになりました。
すると水歯別命(みずはわけのみこと)は、
「私は反逆心なんかありません。墨江中王(すみのえのなかつみこ)と同じ心ではございませんん」
と申し上げたので、天皇は次のように言いました。
「それならば今から帰り下り、墨江中王(すみのえのなかつみこ)を殺して来なさい。その時にはあなたと話し語り合おう」
そこで水歯別命(みずはわけのみこと)は、難波に帰り墨江中王(すみのえのなかつみこ)の側近の隼人の曾婆加理(そばかり)を欺いてこのように言いました。
「もし、お前が私の言うことを聞き従えば、私は天皇となり、お前を大臣にして天下を治めようと思う。どうだ。」
すると曾婆訶理(そばかり)は、
「仰せのとおりに致します」
と答えたので、水歯別命(みずはわけのみこと)は隼人にたくさんの品物を与え、
「ならば、お前が仕えている王(墨江中王(すみのえのなかつみこ))を殺すのだ」
と命令しました。
そして曾婆訶理(そばかり)は、自分の君主の墨江中王(すみのえのなかつみこ)が厠(かわや:便所)に入る時を密かにうかがい、矛で刺し殺したのでした。
続きを読む 曾婆訶理(そばかり)の死と兄弟の語り合い