宇陀の地(うだのち:吉野から奈良盆地に至る途中、奈良県宇陀市)には、兄宇迦斯(うえかし)と弟宇迦斯(おとうかし)という勇猛な兄弟が住んでいました。

そこで、神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)は、八咫烏(やたからす)を遣わせて二人の兄弟に次のように尋ねさせました。

「今、天つ神御子(神倭伊波礼毘古命)がおいでになっていらっしゃる。あなたたちも仕え奉らないか」

ところが、それを聞いた兄宇迦斯(うえかし)は、鳴り鏑(なりかぶら:音が鳴る矢)で八咫烏(やたからす)を討ち追い返したのです。

そこで、その鳴り鏑の落ちた所を「訶夫羅前(かぶらさき)というのです。

兄宇迦斯(うえかし)は、

「神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)を迎え撃つぞ!」

と兵を集めました。

しかし、十分な兵を集めることが出来ず、策を企てました。

神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)には、

「御子様に仕え奉ります」

と偽って伝え、その間に大きな御殿を作り、その御殿の内側に押機(おし:踏むと石が落ちてくる罠)をしかけ、御子を殺そうと待ち構えたのです。

ところが、弟宇迦斯(おとうかし)は、一人で天つ神御子を出迎えて、跪(ふざまず)き、

「私の兄、兄宇迦斯(うえかし)は天つ神御子の遣いを射返し、待ち受け兵を集めようとしましたが、思うように集まらず、御殿を作り、中に押機を仕掛けております。ですから出迎えて兄の企みを白状しました」

と申し上げました。

そこで、大伴連(おおともむらじ)らの祖の道巨命(みちのおみのみこと)と、久米直(くめのあたい)らの祖の大久米命(おおくめのみこと)の二人は、兄宇迦斯(うえかし)を呼び出して、

「お前が御子さまにお仕えするために造った御殿には、まずお前が先に入り、どのようにお仕え奉ろうとするのか、明らかにしろ!」

と罵って言うと、太刀の柄を握り、矛を扱き(しごき:細長いものなどを手で握りしめ、引き抜くように動かすこと)、弓にやをつがえて、兄宇迦斯(うえかし)をその御殿の中に追い入れました。

すると、兄宇迦斯(うえかし)は、自分が作った押機に押しつぶされ死んでしまったのです。

そして、道巨命(みちのおみのみこと)と久米直(くめのあたい)達は、兄宇迦斯(うえかし)の亡骸を外に引きずり出し、ばらばらに切り刻みました。

それで、この地を「宇多の血原(うだのちはら:所在は不明だが宇陀市に血原の地名が残る)」と言うのです。

神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)は、弟宇迦斯(おとうかし)が服従の意として献上した大饗(おおあえ:ご馳走)を、

道巨命(みちのおみのみこと)と久米直(くめのあたい)の兵士たちに与えて宴を開き、また、次の御製(ぎょせい:天皇や皇帝、皇族が自ら書いたり作ったりした文章(政令の類は除く)・詩歌・絵画など)をお詠みになりました。

「宇陀の 高城(たかき)に 鴫(しぎ)罠張る 我が待つや 鴫は障(さや)らず いすくはし 鯨障る 前妻(こなみ)が 肴乞(なこ)はさば 立そばの 実の無けくを こきしひゑね 後妻(うはなり)が 肴乞(なこ)はさば 巌榊(いちさかき) 実は多けくを こきだひゑね ええ しやごしや こはいのごふそ ああ しやごしや こは朝咲(あざわら)ふぞ」

訳:

「宇陀の高い城に鴫の罠を張る。我を待っても鴫はかからず、思いもよらぬ美しい鯨が掛かった。古女房がおかずを求めたら、木の実の少ないのを少し削ってあげろ。かわいい妾(めかけ)がおかずを求めたら、木の実の多いのをたくさん削ってあげろ。

えー、しやごしや。(威嚇を表し、「こやつめ」の意味) あー、しやごしや(嘲笑っている様子の意味)」

その、弟宇迦斯(おとうかし)は、宇陀水取の祖で、朝廷の飲み水を扱っていた部民らです。

 

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