邇邇芸命(ににぎのみこと)は、天宇受売神(あめのうずめのかみ)に、
「ここまで先導役として仕えてくれた猿田毘古大神(さるたびこのおおかみ)は、名を尋ね正体を解き明かしたあなたが送ってさしあげなさい。そして、その神の名をあなたが貰い受け、自分の名としなさい」
と仰せになりました。
そして、これにより天宇受売神(あめのうずめのかみ)の子孫である猿女君(さるめのきみ)らの女性は、男神の猿田毘古の名を受け継いで猿女君と呼ばれるようになりました。
*天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、猿女君(さるめのきみ)の祖で、「天の岩戸」で岩戸の前で舞を舞ったという伝承から、
鎮魂祭(ちんこんさい、みたましずめのまつり:宮中で新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)の前日に天皇の鎮魂を行う儀式)での舞楽を演じる巫女を出す氏族です。
さて、この猿田毘古大神(さるたびこのおおかみ)が阿耶訶(あざか:三重県松坂市大阿坂町、小阿坂町)で、漁をしていたところ比良夫貝(ひらぶかい)に手を挟まれて、海に沈み溺れてしまいました。
これにより、海の底に沈んでいる時の名を「底どく御魂(そこどくみたま)」といい、沈み行く時、海水の水粒(みつぼ:水の玉、水の泡)がつぶつぶとあがった時の名を「つぶ立つ御魂」といい、また、海水の沫(あわ)が割れはじけた時の名を「泡咲く御魂(あわさくみたま)」といいます。
*また、この猿田毘古大神(さるたびこのおおかみ)を祭る神社が、三重県松坂市のにある「阿射加神社(あざかじんじゃ)」です。
このようにして、天宇受売神(あめのうずめのかみ)が猿田毘古大神(さるたびこのおおかみ)をお送りし、戻ってきました。
そして、戻ってくると、鰭(ひれ)の大きな魚から鰭の小さな魚までことごとく呼び集めて、その魚たちに問いました。
「お前たちは天つ神御子に仕えるか」
と問うと、魚たちは皆、
「お仕えします」
と申し上げました。しかし、その中で海鼠(なまこ)だけは何も答えません。すると天宇受売神(あめのうずめのかみ)は海鼠(なまこ)に、
「その口は答えぬ口か!」
と言って、紐(ひも)のついた小刀で海鼠(なまこ)の口を裂いてしまったのです。
そこで、今日の海鼠(なまこ)の口は裂けていると言われております。
また、このように魚たちは皆「仕える」とのことから、御世(天皇または王が在位している期間)ごとに島の速贄(しまのはやにえ:志摩国(東海道、三重県東部)から朝廷に献上する初物の産物)が献上され、
その時は天皇は天宇受売神(あめのうずめのかみ)の子孫である猿女君らにそれを賜(たま)うのです。