これらの三柱の神の誕生を伊耶那岐神(いざなぎのかみ)は、心からお喜びになり、
「私はこれまでに子をたくさん産んできたが、その果てに三柱の貴い子達を得た」
と仰せになり、自らが身に着けていらっしゃった首飾りを天照大御神(あまてらすおおみかみ)に授け、
「高天原を知らせ(神々の住む天界を治めよ)」
と命ぜられました。
この首飾りはゆらゆらと揺らすと美しい音色を鳴らし、御蔵(みくら)の棚の上に安置する神と言う意味から御倉板挙之神(みくらたなのかみ)と呼ばれます。
次に、月読命(つくよみのみこと)には、
「夜之食国(よるのおすくに)を知らせ(夜の国を治めよ)」
と命じ、
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)には、
「海原を知らせ(海原を治めよ)」
と命ぜられました。
伊耶那岐神(いざなぎのかみ)に命ぜられたそれぞれの神達は、その後各々の国をしっかりとお治めになられましたが、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は海原の国を治めずにずっと泣きわめくばかりでありました。
その泣き声は青々とした山々をことごとく枯れ山にし、河や海もことごとく干上がってしまう程であり、またこの悪しき神の声が夏の蠅(はえ)のように国に満ちあふれてしまったことで、ありとあらゆる災いが起こってしまいました。
その様子を心配した伊耶那岐神(いざなぎのかみ)が、
「どうしてお前は国を治めずに泣いてばかりいるのか」
とお尋ねになると、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は、
「私は亡き母の国の根之堅州国(ねのかたすくに)に参りたいのです。だから泣いているのです」
とお答えになりました。伊耶那岐神(いざなぎのかみ)はそれをお聞きになるとお怒りになり、
「それならばお前はこの国に住んではならない!」
と須佐之男命(すさのおのみこと)を海原の国から追放なさったのです。
*伊耶那岐神(いざなぎのかみ)は現在、淡海の多賀(滋賀県の多賀大社)に鎮座されておられます。また、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)は「根之堅州国(ねのかたすくに)にいきたいのです」とありますが、この国は「黄泉国」と同一である、あるいは違う国であると諸説存在しています。
【根の国(根堅州国)】
全てが生まれ帰っていく根源の国で、古来は神の力(幸いや禍い)もそこから客人(まろうど)として来て帰っていくとされた。大地母神(大地をモノの生え出す母とする、世界のあちこちにある基本的な信仰)の国。祖先が帰るとされた山中だったり、海洋民俗なら海の彼方だったり、地下(黄泉)とは限らず「この世と隔たってはいるが行き来は可能」な世界。
【黄泉(ヨミ)】
黄泉は古代の日本語(やまとことば)で、暗く死の汚(ケガレ)の世界を意味し、日本では死は「気枯れ=ケガレ」で、それに関わるモノに触れるだけで生きる力を奪われる(疫病などの現象から来た考え)と信じられていた。「この世と完全に隔たっており、二度と帰れない」世界。記紀ではその理由として「イザナギが逃げ帰る時に千引きの岩を据え、その時からこの世とあの世は隔てられた」という話を持ってきてある。「黄泉」は中国で死後の地下世界にあるとされた泉。陰陽五行(風水の基)では土=黄色が割り当てられる。