戦いに勝った神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)の一行は、その地よりさらに進んで、忍坂(おしさか:奈良県桜井市)に着きました。
そこには、岩をくり抜いて作った大きな室があり、尾の生えた土雲(つちぐも:朝廷に従わなかった土着民を蔑(さげす)む呼び方)の八十建(やそたける:多くの勇猛な者達)が、岩穴で待ち構えて唸り声を上げていました。
*「尾の生えた人」と言うのは、その地方の木こりや猟師らが、尾の付いた毛皮を腰などに着用していたことから「尾の生えた人」と表現されているとの説があります。
そこで、神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)は部下に命じて、その八十建たちの所にご馳走を届けさせ、さらには、多くの善夫(かわしで:料理人)を付けて送りました。
しかしこれは作戦で、実は送った善夫には、一人一人に太刀を忍ばせて、合図の歌が聞こえたらいっせいに皆で切りかかるように言ってありました。
そして、その合図である次の御製(ぎょせい:一般に天皇が詠んだ和歌のこと)をお詠みになりました。
「忍坂の 大室屋に 人多(ひとさば)に 来入り居(を)り 人多に 入り居りとも 厳々(みつみつ)し 久米の子が 頭槌(くぶつつい) 石槌(いしつつい)もち 撃ちて止まむ 厳々(みつみつ)し 久米の子らが 頭槌(くぶつつい) 石槌(いしつつい)もち 今撃たらば良らし」
訳:
「忍坂の大きな岩穴に、多くの人が来入りし集まっている。多くの人が集まっていても、猛々しく強い久米の兵士が、コブの付いた剣や石の柄の剣を持ち、撃たずにおくものか。猛々しく強い久米の兵士達が、コブの付いた剣や石の柄の剣を持ち、今こ撃つのに良い時だ」
神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)がこう歌った時、兵士たちは一斉に太刀を抜き、土雲の八十建たちを討ち果たしたのです。
また、その後、登美毘古(とみびこ:登美能那賀須泥毘古)を撃とうとした時にも、次の御製をお詠みになりました。
「厳々(みつみつ)し 久米の子らが 粟生(あわふ)には 香韮一本(らみらひともと) 其根(そね)がもと 其根芽認(そねめつな)ぎて 撃ちてし止まむ」
「厳々(みつみつ)し 久米の子らが 垣下(かきもと)に 植ゑ山椒(はじかみ) 口疼(くちひひ)く 吾は忘れじ 撃ちてし止まむ」
「神風の 伊勢の海の 大石に 這(は)ひ廻(もとほ)ろふ 細螺(しただみ)の い這ひ廻り 撃ちてし止まむ」
訳:
「猛々しく強い久米の兵士達の粟畑には、臭い韮(にら)が一本生えている。その韮は根と芽をつないで引き抜くように敵を撃たずにおくものか」
*韮は根が残っているとまた生えてくるから、根こそぎ抜かなくてはいけない。
「猛々しく強い久米の兵士達が垣に植えた山椒(サンショウ)の、口がひりひり痛い、その痛みを我々は忘れない。敵を撃たずにおくものか」
「神の風が吹く伊勢の海の、大きい石に這い廻っている細螺(きさご:巻貝の一種)の、その這い廻って群がるように、敵を撃たずにおくものか」
*これらの歌は、天皇への忠誠を誓う歌として久米家に伝えられ、久米歌とも呼ばれています。
また、その後、兄師木(えしき)と弟師木(おとしき)を撃った時、戦いが続いたため兵士が疲れ切ってしまいました。そこで、次の御製をお詠みになりました。
「楯並めて 伊那佐(いなさ)の山の 木の間よも い行きまもらひ 戦へば 吾はや飢(ゑ)ぬ 島つ鳥 鵜養(うかひ)が伴(とも) 今助けに来ね」
訳:
「楯を並べて伊那佐(いなさ)の山の木々の間に、射って進み守りながら戦ったら我々は腹が減った。島つ鳥の鵜飼いの者よ、今すぐ助けにきてくれ」
さて、神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)が、兄師木(えしき)と弟師木(おとしき)を討ち果たした時、そこへ邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が現れ、
「天つ神の御子が天降り(天つ国から神が降りる事)されると聞いたので、追って降りてきました」
と申し上げ、天津瑞(あまつしるし:天つ神の子孫の証の印)を献上して、天つ神御子(神倭伊波礼毘古命)に仕えました。
また、邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は、天つ神御子(神倭伊波礼毘古命)よりも先に大和の地に入り、登美毘古(とみびこ)を従えており、
その妹の登美夜毘売(とみやびめ)を娶(め)とって生んだ子の名は、宇麻志麻遅命(うましまじのみこと)で、物部連(もののべむらじ)、穂積巨(ほづみのおみ)、采女臣(うねめのおみ)らの祖です。
こうして、神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)は、荒ぶる神々を鎮め従わせ、服従しない人たちを討ち払って、畝火(うねび:畝傍山)のふもとに造られた白檮原宮(かしはらのみや)で、天下をお治めになりました。
*畝傍山:奈良県橿原市で、天香具山(あまのかぐやま)、耳成山(みみなしやま)と共に「大和三山」と呼ばれている。
*白檮原宮(かしはらのみや):奈良県橿原市に橿原神宮があり、神武天皇が即位の礼を行った宮址(宮の跡)とされています。
そうして、天つ神御子、神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)は、長い東征を終えて、初代天皇に即位あそばされ、「天皇」が誕生しました。
そして、後に「神武天皇」と呼ばれるようになります。
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