【第五代、考昭天皇(こうしょうてんのう)】
第四代、懿徳天王(いとくてんのう)崩御後、第一皇子である御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと)御即位され、考昭天皇(こうしょうてんのう)となられました。
- 異称
- 御真津日子訶恵志泥命(みまつひこかえしねのみこと)
- 父・母
- 【父】懿徳天王(いとくてんのう:大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと):師木津日子玉手見命(しきつひこたまてみのみこと))
【母】賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめ、亦名を飯日比売命(いいひひめのみこと:師木県主(しきのあがたぬし)の祖)
- 兄妹
- 【弟】多芸志比古命(たぎしひめのみこと)
- 皇后(后妃)
- 余曽多本毘売命(よそたらしひめのみこと:尾張連(おわりのむらじ)の祖である奥津余曾(おきつよそ)の妹
- 皇子女
- 第一皇子:天押帯日子命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)
第二皇子:大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと:後の第六代、考安天皇(こうあんてんのう))
- 皇居(宮の場所)
- 葛城(かずらぎ)の掖上宮(わきがみのみや:奈良県御所市池之内周辺)
- 崩御
- 九十三歳
- 御陵
- 古事記では掖上の博多山上(奈良県御所市大字三室)、日本書紀では掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)
- 備考
- 第一皇子:天押帯日子命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)は、春日臣(かすがのおみ)、大宅臣(おおやけのおみ)、粟田臣(あわたのおみ)、
小野臣(おののおみ)、柿本臣(かきのもとのおみ)、壱比葦臣(いちひいのおみ)、大阪臣(おおさかのおみ)、阿那臣(あなのおみ)、
羽栗臣(はぐりのおみ)、知多臣(ちたのおみ)、牟耶臣(むざのおみ)、都怒山臣(つのやまのおみ)、伊勢の飯高君(いいたかのきみ)、
壱師君(いちしのきみ)、近淡海国造(ちかつおうみのくにのみやつこ)らの祖です。
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