初代、神武天皇(じんむてんのう)~第三十三代、推古天皇(すいこてんのう)までの系譜です。

歴代天皇の系譜 歴代天皇の系譜・弐 歴代天皇の系譜・参

目次

初代、神武天皇(じんむてんのう)

神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)神武天皇の東征
神倭伊波礼毘古命は天下を平安に治めるため、兄の五瀬命(いつせのみこと)と日向を発ち東へと進んで行きます。

白肩の戦い「布都御魂」
登美能那賀須泥毘古との戦いの中、兄、五瀬命(いつせのみこと)が深手を負い死んでしまいます。それでもくじけず進む神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)に布都御魂(ふつのみたま)という太刀が。

白肩の戦い「八咫烏」
高倉下(たかくらじ)が献上した「布都御魂(ふつのみたま)の太刀」により難を逃れた神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)。その後、高木神の遣わせた八咫烏(やたからす)に導かれ進んで行きました。

宇陀の兄宇迦斯(うえかし)と弟宇迦斯(おとうかし)
宇陀の地に兄宇迦斯(うえかし)と弟宇迦斯(おとうかし)という勇猛な兄弟がいました。その兄は、天つ神御子に仕えるふりをし殺そうと企みました。

久米歌
神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと)の一行は、その地よりさらに進んで、忍坂(おしさか:奈良県桜井市)に着きます。そこで、八十建(やそたける)達が迎え撃ち待ち伏せていました。

皇后の選定
神武天皇は皇后とすべき乙女を求め、【神の御子】と呼ばれる須気余理比売(いすけよりひめ)に求婚します。

多芸志美美命(たぎしみみのみこと)の陰謀
神武天皇の崩御後、義兄の多芸志美美命(たぎしみみのみこと)は、皇位を奪うべく陰謀をめぐらせていました。しかし、神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)がそれを阻止します。

欠史八代(けっしはちだい)

第二代、綏靖天皇(すいぜいてんのう)
第三代、安寧天皇(あんねいてんのう)
第四代、懿徳天王(いとくてんのう)
第五代、考昭天皇(こうしょうてんのう)
第六代、考安天皇(こうあんてんのう)
第七代、考霊天皇(こうれいてんのう)
第八代、孝元天皇(こうげんてんのう)
第九代、開花天皇(かいかてんのう)

第十代、崇神天皇(すじんてんのう)

第十代、崇神天皇(すじんてんのう)「后妃(こうひ)と御子(みこ)」
欠史八代後、崇神天皇(すじんてんのう)の物語が始まります。

大物主神(おおものぬしのかみ)の「三輪山伝説」
崇神天皇(すじんてんのう)の時代に疫病が流行ります。そして、その疫病は意富多多泥古(おおたたねこ)を祭ることで治まることになるのです。

建波邇安王(たけはにやすのみこ)の反逆
疫病を鎮めた崇神天皇(すじんてんのう)はその後、各地に軍を派遣し、大和朝廷に従わない勢力を和らげて平定させました。

第十一代、垂仁天皇(すいにんてんのう)

第十一代、垂仁天皇(すいにんてんのう)「后妃と御子」
第十一代、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御代にはいります。まずは垂仁天皇の后妃と御子です。

沙本毘古(さほびこ)と沙本毘売(さほびめ)
沙本毘古が陰謀を企み天皇を殺すように沙本毘売に命じます。

口きかぬ本牟田智和気王(ほむちわけのみこ)前編
垂仁天皇(すいにんてんのう)は、沙本毘売(さほびめ)から託された本牟田智和気王(ほむちわけのみこ)を甲斐甲斐しく御育てになられました。そかし、なぜか本牟田智和気王は話すことが出来ません。

口きかぬ本牟田智和気王(ほむちわけのみこ)後編
本牟田智和気王(ほむちわけのみこ)一行は、出雲大神を参拝しとうとう話すことが出来るようになりました。

円野比売(まとのひめ)の死
垂仁天皇は最初の后の沙本毘売命(さほびめのみこと)の遺言の通り旦波比古多多須美知宇斯王(たにはのひこたたすみちのしのみこ)の娘たちを后にしましたが、内二柱はその容姿から送り返してしまいます。

常世国の時じくの香(かく)の木の実
ある時、垂仁天皇(すいにんてんのう)は、三宅連(みやけのむらじ:新羅(しらぎ)系の渡来(帰化)氏族)らの祖である、多遅摩毛理(たじまもり)に常世国の非時香木実(ときじくのかくの木の実)を求めさせました。

第十二代、景行天皇(けいこうてんのう)

第十二代、景行天皇(けいこうてんのう)「后妃と御子」

倭建命(やまとたけるのみこと)の物語

大碓命(おおうすのみこと)と小碓命(おうすのみこと)
兄である大碓命(おおうすのみこと)を弟の小碓命(おうすのみこと)が殺してしまい、そのことに驚愕した景行天皇は小碓命を熊曾建の征伐に向かわせます。

小碓命(おうすのみこと:倭建命(やまとたけるのみこと))の熊曾征伐
天皇に命ぜられ熊曾建の征伐に向かった小碓命。その圧倒的な強さから倭建命の名を貰い受けた。

倭建命(やまとたけるのみこと)の出雲征伐
倭建命(やまとたけるのみこと)は出雲に入り、朝廷に従わない出雲建(いずもたける)を征伐します。

倭建命(やまとたけるのみこと)の東征
帰還したばかりの倭建命に景行天皇は、すぐさま東方の平定するように命ぜられました。そして倭建命の心境は。

倭建命(やまとたけるのみこと)「草薙剣と袋」
倭建命(やまとたけるのみこと)が相武国(さがむのくに)にたどり着き、そこで国造に嵌められてしまいます。

倭建命(やまとたけるのみこと)「弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)」
倭建命の平定の任務を遂行させるため、妻である弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)はその身をもって自ら犠牲となります。

倭建命(やまとたけるのみこと)「美夜受比売(みやずひめ)との結婚」
倭建命は荒ぶる蝦夷(えみし:野蛮な者)たちをことごとく従わせ、その後、婚約を交わした尾張の国の美夜受比売の元へと向かいます。

倭建命(やまとたけるのみこと)「伊吹山(いぶきやま)の白猪」
倭建命(やまとたけるのみこと)は伊吹山の神を討ちに行きますがそこで大きな過ちを犯し、力を失ってしまいます。

倭建命(やまとたけるのみこと)「倭建命の最期」
弱りきった倭建命はその残り少ない生命力を振り絞り歩きつづけ、終に力尽き死んでしまいます。

倭建命(やまとたけるのみこと)「八尋白智鳥(やひろしろちどり)」
倭建命(やまとたけるのみこと)の訃報(ふほう)を聞いた、大和にいる后達と御子達は、、能煩野(のぼの:三重県鈴鹿郡)の倭建命の元へ下ってきて、歌を詠みその死を悲しみました。

倭建命(やまとたけるのみこと)「倭建命の后と御子」
倭建命の后と御子とそれらの系譜になります。

第十三代、成務天皇(せいむてんのう)

第十三代、成務天皇(せいむてんのう)
成務天皇(せいむてんのう)の后と御子。

第十四代、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)

第十四代、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)「后と御子」
第十四代、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后と御子たちです。

仲哀天皇の崩御と神功皇后(じんぐうこうごう)の神がかり
大后の息長帯日売命は、帰神をされました。その時、天皇は墨江大神の怒りをかい呪い殺されました。また、その神のお告げは朝鮮半島の征伐でした。

神功皇后(じんぐうこうごう)の新羅遠征
神功皇后(じんぐうこうごう)は、神託よりつぶさに教えられた通り、軍を整え船を並べて海を渡って新羅国の討伐に出航されます。

香坂王(かごさかのみこ)と忍熊王(おしくまのみこ)の反逆
神功皇后(じんぐうこうごう:息長帯日売命)の御子と異母兄弟の香坂王と忍熊王は謀反を企てます。

気比大神(けひのおおかみ)と品陀和気命(ほむだわけのみこと)
建内宿禰命(たけうちのすくねのみこと)は、太子(ひつぎのみこと:品陀和気命(ほむだわけのみこと:後の第十五代、応神天皇))を連れて、穢(けが)れを祓うため禊(みそぎ)を行いに出かけます。

酒楽(さけくら)の歌
御子(品陀和気命(ほむだわけのみこと))の禊が済み、大和に帰ってきた時、母の息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)は待酒(まち酒)を造り用意していました。

第十五代、応神天皇(おうじんてんのう)

第十五代、応神天皇(おうじんてんのう)「后妃と御子」
第十五代、応神天皇(おうじんてんのう)「后妃と御子」になります。

応神天皇(おうじんてんのう)の三人の御子
応神天皇(おうじんてんのう)は、大山守命(おおやまもりのみこと:高木之入日売命(たかぎのいりびめのみこと)との御子)と大雀命(おおさざきのみこと:中日売命(なかつひめのみこと)との御子)に問いました。

長髪比売(かみながひめ)「国栖(くず)の歌」
応神天皇(おうじんてんのう)は、日向国(ひむかのくに)の諸県君(もろがたのきみ:宮崎県南部の豪族)の娘の髪長比売(かみながひめ)の容姿がとても美しいと聞き、妻として迎えようと宮中に呼び出しました。

百済の朝貢(ちょうこう)
百済国から朝廷に様々な貢ぎ物 が送られます。

大山守命の反逆と宇遅能和紀郎子の策
応神天皇が崩御された後、大雀命は天皇の遺言に従い、天下を弟の宇遅能和紀郎子に譲りました。ところが、兄の大山守命は、天皇の遺言に背き、自らが天下を取ろうと考え、宇遅能和紀郎子を殺そうと密かに兵を集め攻めようとしたのです。

大山守命の死と譲り合い
大山守命の反逆は宇遅能和紀郎子の策によって阻止されました。そして、大雀命と宇遅能和紀郎子はその後天下を治めることを譲り合います。

新羅国王の子、天之日矛(あめのひほこ)の渡来
新羅国王の子、天之日矛(あめのひほこ)が日本へやってきます。

秋山の下氷壮夫(したひおとこ)と春山の霞壮夫(かすみおとこ)
二柱の神、兄の秋山之下氷壮夫(あきやまのしたひおとこ)と弟の春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)は伊豆志袁登売神(いずしおとめのかみ)と言う乙女をめぐって賭けをしました。

応神天皇(おうじんてんのう)の子孫
応神天皇の子孫。